平成最期の日に

平成最期の日に
カリフォルニアの青空です。

アメリカは今日平成最期の日、4月30日がそろそろ終わりに近づいています。
日本では既に新しい年号、令和に変わり
国民は少し戸惑いながらも、祝賀ムードに沸いているようにニュースを通して感じています。
戸惑いながらも、という表現はやはり皇室での出来事でありますし、
昭和の終わりが昭和天皇の御崩御であり、
平成の始まりだったからです。
平成という年号が発表された日の事を今でも
はっきり覚えています。
日本中が喪に服し、寒く、とても重く静かな夜を過ごしました。
そして令和の始まりは、天皇、皇后の今までの歴史と御公務や国民に対しての深い思いやりに、
お二人がいつも寄り添い、
御健康でいらっしゃるお姿に心から感謝し、
そして新たにお迎えする新天皇、皇后に
変わらぬ日本の象徴として、
いつまでも健やで令和(Beautiful harmony)で
平和な日本を、日本国民に寄り添って
くださいますようにと願います。

30年前、我が家では平成が始まった日、
夫が親不知を抜歯しに
近所の歯医者に行きました。
夕方になってもなかなか帰って来ず、
やっと帰って来た夫は頬を押さえて、
結局抜歯出来ず、大学病院を紹介されたので
明日また行って来る、
と言って辛そうだった事を覚えています。

それからの私の平成と言う30年は
どんな時間だったのだろう。
娘は3歳、その3年後の平成3年に
息子が生まれました。
その年から我が家は家族4人、
東南アジアのある国に初めての海外赴任で
渡りました。
全く知らない土地で、初めて家族だけの生活を
始める事は、若い私にはワクワクする
経験でした。
夫が不在の夜、海外の地でふとラジオから
流れて来た“上を向いて歩こう”を聞き、
何故が涙が止まらなかった事を
ついこの前のように思います。
その後、北カリフォルニアの赴任が決まり、
その土地が私達家族のホームに成りました。
子供達は学校に通い、私は子供達の繋がりから
母親として良い経験をし、友達を得、
成長する事が出来た12年間でした。
日本に本帰国をし、大きな震災を
真近に経験しました。
あの日の事も忘れられない出来事で、
今でも思い出す度に、時間が戻り、
瞬時に止まるような感じがします。
信じられない映像が次から次へと流れ、
携帯や街の非常警報が聞こえる度に
体が固まりました。
ココはその警報を怖がり、
その度に抱きしめて過ごしました。
私が夫から掛かって来た電話に、
やっと繋がった子供達との電話に、
あの時程安堵した事もありません。
他にも平成は災害が多発した時代でした。
震災の後に訪れたカリフォルニアでは、
ふと入ったレストランやカフェで
知らない人々が日本を心配して
声を掛けてくれました。
見知らぬ人々の優しさに触れた経験でした。
日本で久しぶりに始めた生活は新鮮で、
その時着物の魅力に惹かれ、
ピクチャーフレームを考案し
ご指導いただいた金子りょう子先生に
出会いその後私のライフワークに成りました。
息子の学校を通して、私が経験する事の無かったたくさんの感動を貰いました。
その後2011年には南カリフォルニアに移住し、
ピクチャーフレーム、お菓子のレッスンを
始め今に至っています。
平和な日々の中でも、大切な家族の病気や
旅立ち、新しい事への挑戦や戸惑い、
信頼していた友人からの裏切りや傷つき、
私が傷つけてしまった事など、
この30年間に起こった出来事を今受け入れ、
やり直しではなく、もう一度同じ位置から、
手離して始められたらと思います。

今回の日本国の新年号に関する海外の報道は、
令和をBeautiful harmony と訳しました。
何度か繰り返すうちに、
なかなか良い表現だと感じています。
これからの私達夫婦、家族もそう成りたい。
ハーモニーが周りの人を心地よい場所に
運べたらと思います。
私の平成30年、さようなら。
令和の時代の始まりです。